ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を深く楽しむために知っておきたい8つのこと


La_Gioconda
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる『モナ・リザ』は、世界で一番注目を集めていて、話題になり、書かれたり、パロディ化されていると言ってよいでしょう。現在はフランスのルーブル美術館に所蔵され、毎日、観に来る人は後を絶ちません。

 

しかも、この絵画ほど謎を残し、注目を集めている美術作品は他にないでしょう。モデルや背景、描き方について多くの謎を呼んでいます。そんな『モナ・リザ』を、今回は取り上げます。鑑賞するときに知っておくと、深く楽しめるための知識を精選してご紹介します。

 

1、モナ・リザは「ラ・ジョコンド」とも呼ばれています。

 

元々、この絵画の制作は、フィレンツェで繊維業を営む商人だったフランチェスコ・デル・ジョコンダから依頼されたものでした。モデルはその妻のリザ・ラ・ジョコンダとされています。2008年に見つかったメモの記述から、それが断定されたようです。

 

2、真のモデルは母親?あるいは自分?

 

しかし、描かれている顔の絵を見ますと、モデルとなったリザは当時20代前半くらいで若いはずなのですが、老けて見えると言われています。そのため、実母をイメージして描いたとも言われています。

 

実は、ダ・ヴィンチは、実母のカテリーナが身分違いのため、実父との結婚が叶わず、幼少期に継母のアルビエーラに育てられた経緯がありました。ただ、実母のカテリーナは乳母として雇われる形で、生まれて間もないダ・ヴィンチと数年間共に暮らしていました。その間、本人に実母とは知らされなかったと言います。そして、5歳のとき実母の元を離され、父方の元へ送られます。その後は継母に育てられます。継母からの愛情はとてもあつかったと言われています。しかし、その継母はダ・ヴィンチ13歳のとき病死します。

 

実母からの愛情をほとんど知らないで育ったことになる上、母代わりの継母にも早々に先立たれるので、ダ・ヴィンチは母からの愛に満たされないまま成人を迎えたと言えます。母の愛を求める気持ちが強かったため、『モナ・リザ』で母に見立てて描いたと言われています。

 

あるいは、最近では、ダ・ヴィンチ自身の自画像をモデルにしたという見方もあります。実際、ダ・ヴィンチの自画像として残されている絵を左右逆に回転させて、『モナ・リザ』の絵に重ね合わせると顔の輪郭や目鼻の位置などは完全一致するのです。

 

実母とダ・ヴィンチ本人の双方をモデルにしているとも考えられそうですね。

 

3、いつ描かれたのでしょうか?

 

1503年頃から描き始め、4年ほどかけて描き続け、完成間近のところまでいったそうですが、完成に至りませんでした。その後、この絵は、依頼主のフランチェスコ・デル・ジョコンダに納品されることなく、ダ・ヴィンチ自身の手元で、1515年頃までは何度も描き直され、手が入り続けたと言われています。

 

ダ・ヴィンチの晩年は、フランス国王のフランソワ1世に招きで、フランス中部の町アンボワーズにあるル・クロ・リュセ城で過ごすことなったのですが、『モナ・リザ』を生涯、手元に置いておき手放そうとしなかったのです。

 

4、作品の行方の変遷(ルイ14世の手からナポレオンの手にも渡りました)

 

現在はルーブル美術館にありますが、それまでの経緯も探っていきます。ダ・ヴィンチの死後、遺言により、弟子のサライの元へ渡りましたが、フランス国王・フランソワ1世が大金を出して買い取ったと言われています。1540年代にはフォンテーヌブロー宮殿のフランソワ1世の浴室に所蔵されていたことが記録に残っているそうです。その後、17世紀のルイ14世の時代にはベルサイユ宮殿にあったこともあり、フランス革命時にルーブル美術館へ初めて移されましたが、ナポレオン1世の時代にはチュイルリー宮殿にあったと言われています。ナポレオンは寝室に飾っていたという話です。

 

5、左右非対称の顔はピカソの「キュビズム」の原点?

 

『モナ・リザ』を見ていて不思議なのは、そのモデルの顔が左右非対称であるということです。その上半身は斜めを向いています。顔の左半分(こちらから見て右)は斜め方向を向いていますが、顔の右半分(こちらから見て左)は真正面を向いています。顔の左右半分をそれぞれ別々に描き、合成している印象です。この描き方は、一つの画面に描かれた物を複数の角度から見ることができるという、後のピカソが始めたとされる「キュビズム」にも受け継がれるとも言われているのです。

 

6、『モナ・リザ』盗難犯としてピカソが逮捕されたという事実

 

そして、そのピカソですが、1911年にルーブル美術館から『モナ・リザ』 が盗難された際、若き日のピカソが、友人で詩人のアポリネールと共に、盗難犯の疑いで逮捕された事実があるのです。ただ証拠不十分で、2日後には釈放されていました。犯人は別にいて、2年後に無事にルーブル美術館へと取り戻されました。

しかし、驚くべきことは、この事件以後、ピカソの絵の手法は、「キュビズム」と言われる絵に取って変わりました。とても因縁めいた物を感じますね。

 

7、背景の謎(元祖パノラマ&VR画像を発明?)

 

背景についてもさまざまな謎が浮かび上がり、指摘されています。例えば、右上の部分は霞んでいるように見えます。これは、遠くになればなるほど、光が乱反射して、白や青色に見える「空気遠近法」と呼ばれる遠近法による描き方です。これはダ・ヴィンチが発案したと言われています。他にも、指摘されていることはいくつもありますが、ここで注目したいのは、背景を含めた絵画の両端を引っ付けると完全に一致するという指摘です。

確かに、一見眺めただけでも合致するように見えます。なぜ、そのような描き方をしたのか、推論はいくつかあるようです。その中で注目したいのは、パノラマのように、絵を見る人の周囲を360度と取り囲むようにしたら、より立体的な絵になるのではないかという考えです。前述した、モデルの顔が左右非対称で立体的に見えることを合わせると、それも有り得ると思える意見でしょう。科学者の一面を持っていたダ・ヴィンチらしい仕掛けと言えるのではないでしょうか。

今、世間で話題となっている「VR」画像を頭に思い浮かべると、元祖「VR」画像の発明を今から500年前にやってのけたのがレオナルド・ダ・ヴィンチなのでしょう。天才たる所以です。

 

8、プラドの『モナ・リザ』?

 

実は、スペインのプラド美術館にも『モナ・リザ』があるのをご存知でしょうか?プラドの『モナ・リザ』は、本物の『モナ・リザ』よりモデルの女性は若く見えて、服も明るめの色で、背景も明るい印象です。

『モナ・リザ』ともなると模写は数え切れないくらいあるでしょうが、プラドのそれは、恐らく現存する模写の中で、最も古い模写だと言われています。しかも、ダ・ヴィンチが生きていた時期に、彼の工房で描かれた物とされています。しかし、本人が描いたものではないらしいのです。ダ・ヴィンチの弟子が、本物の『モナ・リザ』を隣で見ながら描いた作品である可能性が高くなっています。

それでは、この絵画の行方の変遷はどうなっていたのでしょうか?17世紀初めにスペインに渡り、セビリアにあるスペイン王室 アルカサル宮殿 に収蔵されていたことが分かっています。1819年にプラド美術館が設立されてからは、明るい『モナ・リザ』はそこに移設されて現在に至ります。近く2012年には、ルーブル美術館にて、本物の『モナ・リザ』と並んで展示され、注目を集めました。まだまだいくつもの謎が発見されそうな『モナ・リザ』から目を離せませんね。