フェルメール作『真珠の耳飾りの少女』について知っておきたい9つのこと


オランダの画家 ヨハネス・フェルメール(1632年〜1675年)は、レンブラントと並ぶオランダを代表する画家です。しかもレンブラントと同時期を生きています。レンブラントが1606年生まれで1669年死去と言われていますので、レンブラントの子供と言ってよいほどの年の差です。

 

しかし、レンブラントと違い、当時は無名に近かったようです。そして、わずか43歳でその生涯を閉じました。しかも、少なくとも11人もの子供と妻を残して、多くの借金を残し、無一文で亡くなったと言われています。死後も、しばらく
の間は無名のままでした。その後の18世紀の間もフェルメールの名は知られることはありませんでした。

 

しかし、彼の絵は蒐集家たちにとっては人気で高額で売買され続けました。それが功を奏した形になり、19世紀以降、フェルメール自身も注目を集めることになります。生前の人生が謎に包まれている画家ですが、そのフェルメールの一番著名と言われる『耳飾りの少女』について今回はいくつかのマメ知識などをご紹介します。

 

1、 真珠の耳飾りの少女はいつ描かれたのですか?

制作年は1665年頃(フェルメールが33歳の頃)とされていますが、特定されていません。

 

2、 真珠の耳飾りの少女で描かれているのは誰ですか?

モデルも謎とされています。娘のマーリアという説もありますが、推測される年に、フェルメールの娘がそこまで大人になってはいないだろうと思われますため、別の誰かを描いたのか、あるいは、制作年がもう少し後かとも言われています。しかし、それも推測の域からは出ず、未だに謎とされています。

 

3、 真珠の耳飾りの少女は現在はどこにありますか?

オランダのデン・ハーグの「マウリッツハイス美術館」が所蔵しています。

 

4、 真珠の耳飾りの少女はいくつかの呼び名と別名もあります。

この作品は色々な呼び名がついています。一番知られているのは「真珠の耳飾りの少々」という名前でしょう。他に「ターバンを巻いた少女」や、「青ターバンの少女」という呼び名もあります。そして、別名として「北のモナリザ」あるいは「オランダのモナ・リザ」とも呼ばれることがあります。

 

5、 「トローニー」と呼ばれる絵の類と言われています。

この絵のモデルが未だに謎であるというのは、先程の2番の文章での記述の通りですが、最近では元々モデルはいなかったというのが定説も有力になっています。しかも、当時流行った人物画の類で「肖像画」と「トローニー」と言われるものがありましたが、近年『耳飾りの少女』は後者の「トローニー」ではないかと言われ始めています。

 

それでは、「トローニー」とは何かと言いますと、「肖像画」とは違って、特定ではない誰かを描いた人物画というカテゴリーだそうです。では、「肖像画」とは何かと言いますと、モデルが確実にいて、そのモデルの当人か、その近親者から依頼があって描くものだそうです。その場合の絵の特徴は必ずと言ってよいほど、モデルは黒っぽい色を基調とした服を着て、顔の表情は堅さや重さが漂っているものだと言うのです。そうだとすると『耳飾りの少女』のカラフルな色合いと優しそうに見える表情は、肖像画の特徴とはかけ離れていると言えます。

 

それに比べて「トローニー」は、空想上の誰か、あるいは実物の誰かを想像しながら描いてもどちらでもよいということになっていました。そして、「トローニー」の最大の利点は、作者が自由に描けて、それを自由に値をつけて売ってもよかったということです。

 

おそらく、フェルメールの人生は、金銭的に常に悩まされていた事実があったので、とにかくお金の工面のためという想いで描いた絵だったとも考えられるでしょうか?

 

6、 この作品は実は、初めは安価で売買されていました。

フェルメール作品に脚光を浴び始めた19世紀以降でさえ、この作品に限っては安価で売買されていたそうです。19世紀後半、デス・トンブという資産家コレクターによって、わずか2ギルダー程度の価格でオークションで手に入れます。現在の価値にすると、約1万円程度だそうです。安価の取引になった最大の理由は、状態が悪かったからでした。何度かクリーニングされ、ようやく元の状態に近いところまで修復したそうです。

 

さらに言えば、当時、他にもいたとされる、フェルメール作品の収集家が、そのオークションには参加していなかったそうです。それで競争率が下がったという話です。ちなみに別のフェルメール作品『デルフト眺望』だと、ほぼ同時期に1000倍の値がついていたので、決して、フェルメール作品そのものに当時価値が低かった訳ではありませんでした。

 

しかし、莫大な価値へと跳ね上がることが、フェルメールや家族の生前には実現できず、本人たちは借金などに悩まされ続けたことは皮肉や非情と言わざるえません。

 

7、  遥か海の彼方への憧れ。東方のジパングも?

モデルの女性の頭には、青いターバンが巻かれています。ターバンと言えば、当時もイスラム教圏の民族の装束でした。オランダも含めてヨーロッパでは、ターバンが当時の流行になったようでした。例えば、フェルメールと同時期のレンブラントの絵にも、ターバンを巻いた人物が描かれています。

 

又、この200年前のヤン・ウェイクの絵にもターバンの絵が登場しています。この時期はちょうど地中海の東方からエジプト、アラブ地域までをオスマン帝国が抑え、最大版図を築いていました。キリスト教諸国にとっては敵と言えるイスラム教勢力でしたが、異国情緒に憧れるのは、古今東西、同じということでしょうか?まだ見ぬ海の彼方の異国である、東洋の風俗への関心の高さが伺えます。

 

また、フェルメールが生きた17世紀半ばのオランダは、日本との貿易が盛んに行われていて、鎖国政策を取り始めたばかりの徳川幕府統治下の日本との貿易は、ヨーロッパ諸国の中ではオランダが独占していた状況でした。フェルメールの耳にも何かしらの日本の情報は聞こえてきていたのではないかと思われます。しかも、フェルメールは地理学に対して熱心だったと伝わっています。地理学者や地球儀を描いた作品が残っていて有名です。

 

もしかしたら、この『耳飾りの少女』のモデルは、日本人を思い浮かべながらも描いていたかもしれません。そういえば、このモデルの女性の服の襟元あたりは、和着物か朝鮮や中国系の民族衣装のようにも見える気もしてきます。

 

8、 実はガラスの耳飾りの少女?

モデルがしている耳飾りは、従来「真珠」と言われていて、それ故、この作品のタイトルは『真珠の耳飾りの少女』と呼ばれてきました。

 

しかし、それは間違いだというのが最近の定説です。理由としては、それが天然真珠にしては大きすぎるということと、特に何と言っても光の反射が真珠にしては強すぎるというのが理由です。耳飾りに注目すると、鏡のように周辺の風景らしき物が写っています。ガラスや鈴製とする説が有力になっています。

 

9、 写真に魅せられて。ファッション誌の表紙のように。

当時のヨーロッパ美術は、科学の発達にとても影響を受けていたとされます。その結果、遠近法が生み出されたのでしょう。フェルメールは「光学」に魅せられたようです。光の届く方向や光の反射具合を徹底して観察し、描いていたようです。この『耳飾りの少女』でも、小さく描かれている耳飾りに、鏡のように反射した周囲の風景が細かく映し出されています。特に背景が黒ですから、反射した風景とカラフルな色の衣装は際立っています。

 

フェルメールは「カメラオブスキュラ」と言われる、カメラの原始装置とも言うべき、暗室での投影法の知識を取得し、それを技術として、この作品に投影させたのでしょう。しかも、当時人気の、異国情緒あふれる東洋の衣装も合わせて投影したのです。

 

つまり、当時の流行の最先端を紹介した、トレンド的な絵画と言ってよいでしょうか。現代ならいち早く、ファッション誌の表紙を飾っていてもおかしくない絵だったのでしょう。