レンブラントの「夜警」について知っておきたい11のこと


オランダを代表する画家レンブラント・ファン・レインの最高傑作とも言うべき「夜警」。オランダは当時「ネーデルラント連邦共和国」という経済大国として全盛期を迎えていました。つまり、当時のオランダには富裕層が多く存在したのです。それはレンブラントにとって頼れるパトロンが幾人もいたということです。そのため、画家などの芸術家にとって創作しやすい環境だったでしょう。ただ、この『夜警』創作は、レンブラントにとって大きな転機となりました。今回の記事では、その詳細に迫っていきたいと思います。是非、お付き合いください。

 

1、夜警の制作された時期と現在の展示場所は?

制作されたのは1642年とされています。レンブラントが36歳(あるいは35歳とする記述もあります)のときでした。そして、現在の展示場所は『アムステルダム国立美術館』です。

 

2、夜警は世界三大名画の内の一つかもしれません?

「かもしれません?」という不確定な表現をしましたのは、世界三大名画の候補作品は4つあるからです。ちなみに『夜警』以外の候補作品は、ディエーゴ・ベラスケスの『宮廷の待女たち』、エルグレコ の『オルガス伯爵の埋葬』、そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』です。ただ、ディエーゴ・ベラスケスの『宮廷の待女たち』に関しては、世界三大名画として確実視されているようです。

 

3、 描かれているのは「夜景」ではなく昼の情景です。

『夜警』の作品名で知れ渡っていますが、描かれているのは、「夜景」ではありません。実は、昼間の情景を描いているのです。18世紀末に、この作品を見た者の多くは夜を描いたものだと誤解をしていたそうです。というのも、その当時、この絵が何層もニス塗りされていたため、暗くなっていたということです。20世紀に入って何度か洗浄されたことで、元の明るさを取り戻したと言われています。

 

4、 元々の正式名称は『夜警』ではありません。

実は『夜警』という名称は正式名ではなく、通称です。正式名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』とか『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の率いる火縄銃手隊の人々』、あるいは『コック隊長の射撃隊』などと訳されています。

 

5、 実際の絵の大きさは?

元の大きさは、「高さ4m・幅5m」あったとされています。それが、新たな展示場所に移動さら持ち運ぶ際に切り取られて「高さ3.59m・幅4.37m」の大きさになったと言われていますが、それでもかなり大きいサイズですね。ちなみに模写された水彩画が残っていて、これは原画の切り取られた部分も描かれています。

 

6、 どんな状況を描いているのですか?

自警団が整列し、街の安全巡回のために出発する直前の瞬間を描いたとされています。

 

7、  依頼主たち以外も描かれています。

この作品には依頼主が20人近くいたそうです。そして依頼内容は、自分たちの集団肖像画でした。しかし、実際に作品を見てみると、依頼主たち以外にもたくさん描かれています。犬などの動物や、そして、レンブラント本人まで描かれているというのです。また、実在しないかもしれない女性も、実は2人も描かれています。内1人にはスポットライトのような光が当たっています。(こちらを振り返り、怯えている表情にも見える少女らしき人物です。彼女は、レンブラント最愛の妻サスキアとも言われています。)

 

8、 革命的な集団肖像画でした。

今では、世界三大名画に数えられるほど、世界中で大人気の作品ですが、制作当時、一部の人たちには不評だったとも言われています。特に依頼主からは非難する意見もあったというのです。

 

前述の通り、この作品の依頼人は20人近くいました。その全員をモデルとして描く必要がありました。当時の流行ったのが「集団肖像画」と言われるものです。複数の依頼主が画家に自分たちを描いてもらうことです。このとき、依頼主たちの画料は皆で出し合うことになっていました。しかも公平に出し合っていました。そうすることで一人分の負担は少なくて済むというものでした。

 

ただし描き方も公平にというのが鉄則でした。「集合写真」のように描いてもらうものでした。並列して、誰が目立つでもなく、それぞれが主役のように画家に描いてもらうものでした。その鉄則が、この作品では覆されたのです。

 

中央の黒の服を着た隊長と白の服を着た副官の二人と、後ろに不安そうな表情で振り返りざまに、こちらを見つめる女の子らしき女性以外は、背景の一部となりほぼ陰に隠れた存在となってしまっています。まるで、演劇のドラマティックな一場面のように描いています。この演出は「レンブラントライト」と言われています。演劇ではこの演出を頻繁に用いているようです。

 

例えば、顔の正面と斜め、それぞれから45°の位置から光が当たるように描いています。そのモデルの個性が最も出る光りの当て方だそうです。絵画の芸術性を高めようと挑戦したため、依頼主たちの意向に反して、一部からは不評もかってしまったと言われています。

 

9、 レンブラントの人生の「光と闇」を分けた作品だったのでしょうか?

この作品を描いた年に、最愛の妻・サスキアを失います。又、先程の章にも記述したように複数の依頼主を均等に描かず、差をつけてしまったことにより一部の依頼主からは不評をかったと言われています。

 

しかし、『夜警』の芸術的価値は当時でも多くの人が高い評価をしていたのは事実であったので、パトロンたちが去っていく切っ掛けになったという通説は正しくないようです。そもそも『夜警』の依頼主たちからの報酬額は、その扱い方の大きさにより、後々に増減があったと言う記録が残っているそうです。

 

この時期を境に、レンブラントの人生の没落へと進むこととなったのは確かのようですが、それは、当時のオランダの経済状況の変化と、レンブラント自身の浪費であるとする説が最近では有力となっています。

 

さらに、サスキアの後に家政婦として雇っていた複数の女性と愛人関係を築きました。それが訴訟問題に発展し、慰謝料も請求され、大きな痛手であったようです。

 

10、 貿易大国・オランダの繁栄を象徴する作品です。

この時期のヨーロッパの大きな出来事といえば、「三十年戦争」です。ヨーロッパ全土を巻き込んだ戦争で、16世紀のキリスト教の宗教改革の混乱の波が大きな形で表れたキリスト教徒の内部争いでした。旧教(カトリック)派の国々と新教(プロテスタント)の国々との間で激しく争われました。

 

それが、1648年に「ウェストファリア条約」結ばれ、プロテスタント諸国の勝利で幕を閉じた形になりました。これによって、カトリック派の国々の勢力は弱まります。例えば、スペイン王国や神聖ローマ帝国です。特に、スペインは16世紀半ばから後半にかけて海洋大国として世界中に覇を唱えていました。海洋貿易で利益を得ていたオランダにとっては脅威でした。

 

実は、オランダは16世紀中、スペインの属国でした。そのため、毛織物生産で利益を得て経済発展地域だったオランダは、スペインによる支配で経済搾取を受けていた状態だったでしょう。それが、16世紀半ばから独立の気運が高まり、衝突が何度も起きていました。17世紀初めには、ほぼ独立に成功し、貿易大国の道を歩み始めます。

 

しかし、スペインとの衝突は終わりませんでした。休戦もあったものの、1618年から始まった「三十年戦争」で、オランダ側はプロテスタント側として、カトリック側のスペインと再び衝突します。それが、カトリック側敗北のため、スペイン勢力が確実に減退したのです。それとともにオランダがヨーロッパの海洋国家の筆頭として踊り出ることになります。オランダは、それまでも日本を含めた東洋との貿易を積極的に行い、利益を得ていましたが、三十年戦争の結末によって、特にアジアとの貿易での利権は、ヨーロッパ諸国の中では独占状況になり、多くの富がオランダに入ってきたと言われています。

 

しかし、新たな脅威として登場したのが、イングランド王国やフランス王国でした。それらと対等に渡り合おうとする気概がオランダ国内には溢れていたという話があります。貿易によって富を得た新たな商人ギルドたちが富裕層にのし上がり、彼らが政治中心に関わることになりました。そして、それまでと違い、共和国制を取りながらも、君主制のようにギルドたちは権力を意識して、豪華な宮殿のような住居へ住むようになったそうです。イングランドやフランスの絶対王政に刺激され、それに負けじという意識が強かったのかというところです。

 

それに伴い、画家にとってのパトロンの、商人ギルドたちの好む絵の趣向に変化が起きます。世俗的よりも、豪華華麗な絵を求めるようになったそうです。ですが、そんな全盛期のオランダも長くは続かず、1652年以降、度重なるイングランドと
の戦争(英蘭戦争)によって、オランダ経済はひっ迫していきます。それに伴って、芸術家たちのパトロンとなってきた富裕層の経済力にも陰りが見えていったと思われます。

 

つまり、『夜警』制作以降にオランダに経済不況が訪れたのです。オランダ栄華の最後の作品とも言えるでしょうし、また、オランダの国家の光と闇を分けた作品という言い方もできるでしょうか。

 

11、 レンブラント作品の変化「光から影へ」

『夜警』制作以降、商人ギルドたちの豪華絢爛な趣向への変化とは真逆に、レンブラントの描く作品は、静穏という言葉が似合う作品が増えていきました。色合いにしても、テーマも風景も、質素・簡素といえる描写となっていきました。同じキリストを主題にしたものでも、登場人物の顔の表情には『夜警』制作以前と後では、激しさや派手さが際立っていたのが落ち着きを持った描写へと変わっている印象です。洞察力に深みが増してきたとも解釈されています。日本の芸術に例えれば「金閣寺」から「銀閣寺」へといったところでしょうか。黄金より詫び・錆びなど。

 

この趣向の変化は、やはり、『夜警』制作した時期に先立たれた、最愛の妻・サスキアの存在が関係しているのでしょうか。

何れにしても、レンブラントの描く絵が、裕福なギルドたちや権力の中枢にいた層が求める作品の性質と離れていったのは事実だったようです。

 

しかしながら、当時のレンブラントにパトロンがいなくなったいう訳ではなく、レンブラントの新しい描き方に興味を持つ知識人、芸術家のサークルなどが数多くいて、彼らがパトロンの役割を果たしたそうです。

 

ただ、先程記述のように、オランダの経済不況や愛人トラブルなどでレンブラントの懐はひっ迫し続けました。しかし、あまりにも裕福になり、贅沢しすぎたそうですから、その反動だったと考えれば、最後は丸く収まったとも言えるでしょうか。