ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの星月夜(ほしづきよ)をより深く鑑賞するために知っておきたい9つのこと


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ゴッホの後期の代表作の一つの『星月夜』。他の『ひまわり』や自画像などの作品と比べて影に隠れた作品かもしれません。その名の通り作風も夜や暗の印象がつきまといますが、作品にまつわるエピソードを知ると、その魅力に取り憑かれることでしょう。ゴッホの人生を象徴する作品かもしれません。そのエピソードをいくつか紹介していきます。

1、星月夜の作品は、現在どこにあるのでしょうか?

ニューヨーク近代美術館にあります。

 

2、ゴッホが精神病院に入院中に描いた作品です。

この作品は南フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンスにある精神療養所「聖ポール療養院」の入院中に描かれた作品です。ゴッホが療養所に入院したのが1889年5月で、『星月夜』を描いたのが1889年6月なので入院1ヶ月後に作成したことになります。そして自殺する前年ということになり、晩年の作品に数えられると言ってよいでしょう。

3、ノストラダムスの生まれた街にて描いた作品です。

ちなみに、その療養所があったサン・レミ・ド・プロヴァンスは、16世紀に生きた、予言者として有名な、ノストラダムスの生家のある街なのです。ノストラダムスは、医師・占星術師・詩人として、当時は高名でした。サン・レミは人口1万人ほどの小さな街でありますから、ノストラダムスの生家と「聖ポール療養院」は目と鼻の先であったと言っても良いでしょう。

4、人物が全く描かれていない、暗めの風景のみの画なのです。

『星月夜』を描いた半年くらい前に、ゴッホが、自身の耳を切り落とすという大事件が起きています。この作品は、混乱していた自身の精神状態を描いたとも言われています。それまで積極的に描いていた自画像や人物の登場する絵は、この時期は全く出てきません。しかも暗く陰鬱な印象を持ってしまいます。この作品を描き上げて、3ヶ月後にようやく自画像を再び描きはじめました。ただ、それまでのような鮮やかな色のタッチではありませんでした。それが何枚か描くうちに明るい色で描いた絵も描けたようです。この絵の創作が精神療養になる切っ掛けだったのかもしれません。

 

5、写実的ではなく幻想的です。

この作品は、ゴッホが以前、パリやアルルに滞在していた頃の作品にもあった、夜を主題に取り上げています。しかし、その頃と決定的に違うのは、この絵は、直接観察(客観描写)ではなく、幻想的な描写になっていることです。
地球上にある気高く立っている糸杉と、宇宙で起こっている、ブラックホールの渦巻きのような情景を力強い筆のタッチで幻想的に描いています。ゴッホは、いつも糸杉に惹かれているとの書簡を残しています。この絵には、手前に高くそびえ立つ糸杉が描かれています。入院直後のこの時期、ほとんどのゴッホの作品には糸杉が描かれています。自然に囲まれて、畑での野良仕事に憧れを抱いていたと言われています。

 

時は、産業革命から百年近く経っていて、仕事は手工業から機械工業に替わっていました。大量生産の時代、労働者階級が生まれ始めた時代でした。その波に乗り切れず、精神を病む人が増えていた時代でもあったようです。ゴッホもその一人だったのではないでしょうか。

 

6、金星と三日月を描くことで女神を描こうとしたのでしょうか?

巨大な糸杉の右隣、中央左よりに大きく光り輝く星が描かれています。これは、弟テオへ宛てた手紙の中に、日の出前に窓から田園風景を見たときに明けの明星(金星)だけが大きく見えたとの記述があることから、金星だろうというのが従来の説です。今もその説が広く知られています。

 

そして、右上に描かれているのは、これは月だと一目瞭然でしょう。ただ、月に関しては金星と同じ日に見たのではないとされています。この作品を描いていたときは、十五夜を過ぎたばかりだったそうです。三日月になるのはもう何日間か経ってからということになります。ですから、この三日月は、ゴッホ自身の願望として描かれいるというのです。

 

それは、三日月などの細い月はギリシャ神話の狩りの女神アルテミス(ローマ神ディアナ)を表しているからというのです。金星は美の女神アフロディーテ(ローマ神ビーナス)を表わします。愛の象徴である女神を描いた理由は、弟テオに宛てた手紙から読み取れるのではないかと考えられています。1889年4月弟テオが結婚したのですが、それを羨み、自身は療養所でモデルになってくれる女性さえ見つけられないという、嫉妬にも見える内容の手紙を書いているのです。まだ見ぬ最愛の女性を求める愛情への欲求を叶えられぬ悲痛を描いたものだったのでしょうか。

 

7、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』との共通点

葛飾北斎と言えば、日本を代表する江戸時代後期に生きた浮世絵師です。西洋の画家たちにも多く影響を与えたと言われています。ゴッホにも大きく影響を与えていたようです。

 

北斎の代表作の一つに『神奈川沖浪裏』があります。これは東洋の山水画でよく見られる「三遠法」という遠近法の一種を使用しています。「三遠法」とは

「平遠」(正面から見た視点)
「深遠」(上から見下ろす視点)
「高遠」(下から上を見上げる視点)

 

という三つの異なる視点で空間を表現して、遠近を表す描き方です。例えば『神奈川沖浪裏』なら、「平遠」は遠くにある富士山。「深遠」は大波から舟を見下ろした視点。「高遠」は逆に舟から大波を見上げた視点となります。これがゴッホの『星月夜』にも共通しているというのです。例えば「平遠」は右手の山々で、「深遠」は左手の巨大な糸杉と上方にある渦巻きの空から、正面下の方にある街並と教会へ下に向かう視点、「高遠」はその逆に街並みから糸杉や渦巻きの空へ向かう視点という訳です。

 

そして、北斎の方には、手前の波と奥の富士山、ゴッホの方には、手前の糸杉と奥の教会といった形で「線遠近法」も似たような手法で使用されています。さらに言えば、遠くに描いた富士山と教会はどちらも、崇高で手の届かない所にある物の象徴としてとらえているという共通点があるように見受けられます。

 

8、描きたかったのは宗教画?

ちなみに描かれている教会は存在せず、ゴッホが想像した架空の物だそうです。なぜ、架空の教会を描いたのでしょうか?実は、ゴッホは牧師を目指していた時期があったそうです。父も祖父も牧師だったため、その影響は強かったそうです。それで本人自身も牧師を目指して神学校に入るための受験勉強をしましたが、神学以外に外国語などの必要な学力が追いつかず、断念したそうです。さらに、キリスト教と教会の制度そのものに失望し、それまで敬虔な信仰があったのが完全に失せてしまった言われています。

 

しかし『星月夜』の絵には、教会はもちろんですが、「創世記」(旧約聖書)に出てくる「11の星」が描かれているのです。やはり、ゴッホにとって、キリスト教は生きるバイブルだったのかもしれません。

 

9、あるいは仏教徒への転身願望を表したのでしょうか?

ゴッホが日本から影響を受けたことは広く知られています。ゴッホ自身が浮世絵を真似て描いていましたし、また日本の仏教の僧侶に惹かれ、自身も坊主にしたそうです。その自画像も残っています。キリスト教への失望から、まだ見ぬ土地、東洋、日本の仏教への憧れを持っていたとも考えられます。だからこそ、葛飾北斎の浮世絵に似た描き方をされていたとも考えられるでしょうか。

とにかく、この作品には、ゴッホの欲求の満たされぬ人生そのものが描かれていると言って良いでしょう。つまり、聖職者として、人とのために奉仕精神で生きていくこと。最愛の人との結婚。これらは最期まで叶えられることはありませんでした。