「記憶の固執」について知っておきたい15個のこと

 

サルバドール ・ ダリの「記憶の固執」は、偏狂的なスペイン画家である彼の最も有名な作品です。溶けていく時計があなたの記憶に残っていると思います。この記憶の固執のまつわる面白い豆知識を贈ります。

 

1、 記憶の固執は、幻覚の中で描かれました。

この絵画は、1931年にダリのより完成されました。この頃、ダリは「偏狂な核心的手法」を完成させました。彼が「手描きの夢の写真」と呼ぶ特殊な状態を作りました。それは、精神病性幻覚の瞑想状態を作り出して絵を描くというものです。
 
ダリはこの異常な手法について次のように述べています。「キャンバス上に自分が描き出す絵に自分が一番驚き、そして恐怖の念に囚われました。私には選択の余地はありませんでした。自分の無意識から生まれるイメージをただただ忠実にキャンバスに描くことしかできませんでした。」

 

この絵は、単なるダリが意識的に創出したのではなく、彼の無意識から出てきたものを写真を撮るように忠実に再現した驚くべき絵画なのです。
 

2、 「記憶の固執」の大きさは想像するより小さいです。

記憶の固執は、ダリの最も偉大な作品ですが、実際の絵画油彩対策のみ 9.5インチx 13インチと小さいです。
 

3、 記憶の固執は28歳でダリを世界的に有名にしました。

ダリは、わずか 6 歳の頃に絵画を始めました。ダリは若い頃から名声を得るために、画期的な超現実主義的なショーツのスペイン映画監督ルイス ・ ブニュエルと働き始めました。ただ、なかなか芽が出ることはなく、この記憶の固執を完成させることでやっと世間の評価を得ることができました。記憶の固執が1932年にニューヨーク市のジュリアンレヴィギャラリーで登場したとき、マスコミも大衆からも大きな反響と熱狂を受けることができました。
 

4、 記憶の固執は、匿名の寄付者のおかげでニューヨークに展示され続けることができました。

そのギャラリーの展示会の後に無名のパトロンが作品を購入して、1934 年に近代美術館に寄贈されました。そして、記憶の固執は80年にわたってMoMA のコレクションのとして展示ハイライトされています。
 

5、 記憶の固執を描くまでは、超現実主義者とはみなされていませんでした。

今ではダリは世界で最も有名な超現実主義の画家ですが、記憶の固執を描くまでは公式の超現実主義者とはみなされていませんでした。彼の周りにいた超現実主義者たちは、ダリにはファシストの傾向があるのではないかと疑っていました。彼は誤解を解くために、自ら「私は超現実主義者です」と宣言しました。
 

6、 著名物理学者のアインシュタインの仕事が影響を及ぼしたかもしれません。

記憶の固執は、絵画の解釈に関して、さまざまな学術議論を引き起こしています。一部の評論家は、部分溶融している時計はアルベルト ・ アインシュタインの相対性理論に対応していると信じています。別の評論家は、「柔らかい時計は、時間と空間の相対性に対する無意識のシンボルである」と言っています。この当時、アインシュタインの相対論が世の中に広まって、大きな騒動を巻き起こしていたので、その影響を受けたとしても不思議ではありません。
 

7、 ダリ自身の記憶の固執に対する説明は奇妙です。

アインシュタインの相対性理論にインスピレーションを受けたかどうか直接尋ねられた時、ダリ自身は記憶の固執の柔らかい時計は、太陽の下で溶けていたカマンベールチーズの円盤をイメージしたと答えています。しかし、ダリは、自分自身と観衆に見せる彼のキャラ(人格)自身、彼の芸術と一部と考えていたので、この答えに対しては、どれくらい真実を語っているのか議論の余地もあります。
 

8、 描かれている風景は、ダリの幼年期に原点があります。

彼の故郷であるスペインのカタルーニャ地方は、ダリの作品に大きな影響を与えています。パニ(Pani)山脈 (Panelo山脈とも呼ばれます) の麓にあったダリの両親の別荘から見た風景は、何度もダリの描く絵に影響を与えています。(例えば、View of Cadaqués with Shadow of Mount Paniの絵などを見るとわかります。)記憶の固執では、パニ山脈の影が前面にあり、クレウス岬とそのゴツゴツした海岸が背景に描かれています。
 

9、 記憶の固執には続編があります。

1954 年にダリは、記憶の固執の続編となる「記憶の固執の崩壊」を描きました。(下図)記憶の固執の調和のとれた染色体(要素)として知られる、散り散りになったキャンバス板状の部分は記憶の固執の要素、つまり原子と信じられています。



 

10、 記憶の固執の2枚の前後作を比べると、ダリの世界観の変化があることがわかります。

「記憶の固執」と「記憶の固執の崩壊」の主題は同じものですが、2つの絵には異質な部分もあり、ダリのキャリア期間の間に起こった変化を示しています。最初の絵である「記憶の固執」は、ダリがジークムント ・ フロイト(精神分析家)によって開発された夢の分析に魅了されていたときに描かれました。心の内側の無意識に焦点を当てていました。次の絵である「記憶の固執の崩壊」は、1950年代に描かれ、その時代ダリは、原子力をはじめとする科学などに興味を持っていました。
 
この変化を、ダリは次のように説明しています。「若い頃、超現実主義者時代には、内部の世界に興味を持っており、精神分析家フロイトが私の心の師匠でした。そして、素晴らしい世界を描写することができました。現在は、心理学を超越した外的世界つまり物理に魅了されています。現在の私の心の父は理論物理学者ハイゼンベルグ博士です。」
 

11. フロイトもダリの賞賛していました。

精神分析の父は、超現実主義者たちに懐疑的でした。超現実主義者たちは、フロイトの理論を理解していないし、あまりに美術に傾倒していると感じていました。フロイトは超現実主義のファンではありませんでした、ダリだけ例外に思っていました。2人が1938 年に会った時、ダリは82 歳の彼のアイドルのフロイトの肖像画を描いていました。この時、フロイトは、「この子は熱狂的な信者だ」とささやいたと言われています。下の絵画の「ナルシスの変貌」(The Metamorphosis of Narcissus)は精神分析の研究に値するとフロイトはコメントして、ダリを喜ばせました。フロイトは後世、次のように言ったと言われています。「私は常に超現実主義者たちを完全な馬鹿どもの集まりだと思っていた。しかし、この天才的で輝きに満ちた目を持つ若いスペイン画家ダリに出会って、私はこの意見を変えなければいけないと思った。」



 

12. 記憶の固執には自画像が隠されています。

絵の中心にあるグダーと垂れ下がったものは、自画像を描くのが好きだったダリ自身を表現していると言われています。彼自身いくつかの自画像を描いています。「Self-Portrait in the Studio」, 「Cubist Self-portrait」, 「Self-Portrait with “L’ Humanite」 「Self-portrait (1921)」などが知られています。
 

13、 ダリは、柔らかい時計の彫刻も作りました。

1970 年代になって、ダリは記憶の固執に描かれている「柔らかい時計」の彫刻なども制作しました。「Dance of Time I, II, & III」、「Nobility of Time」、 「Persistence of Memory」、 「Profile of Time」などが有名です。 リトグラフにもしています。

 

14、 記憶の固執には別名もつけられています。

記憶の固執は、「柔らかい時計」、「ドルーピー時計」、「時間の永続性」、「溶解時計」などとしても知られてます。
 

15、 絵画は、ポップ カルチャーに染み付いています。

記憶の固執は、「ザ ・ シンプソンズ」、「フューチャラマ」、「ヘイ、アーノルド」、「ドクターフー」、「セサミストリート」などのテレビでも触れられています。他にもアニメ映画などでもパロディ化されました。