なぜ離婚?10人に聞いた離婚理由とその後の人生!

現在の日本では、3組に1組は離婚しています。愛し合って結婚したはずの夫婦がなぜ離婚をしたのか?また子供はどうなったのか?それぞれの事情を10人から聞きました。

 

離婚後再婚をせずに一人暮らしです(女性)

私が彼と知り合ったのは大学の寮でした。それで、大学を卒業してから同棲を始め、その後結婚となったのですが、結婚後4年ほどしてから彼の浮気がわかってきました。とても信頼していたので、最初は信じられませんでした。精神的に不安定になって、カウンセリングを受けるようになりました。
 
そして、決定的な場面と遭遇することになったのです。
 
私が実家に帰っている間に、浮気相手を部屋に連れ込んでいたのです。それで、かなり揉めましたが、まだ子供がいなかったので、話し合いで別れることにしました。慰謝料はなしでした。
 
彼は私にとって最初の恋人だったので、心から信頼していたのです。その人が裏切ることがあるということで、私は極端な男性不信に陥ってしまいました。
 
今考えると、慰謝料をもらっておけばよかったと思うのですが、その時はとにかく別れたかったのです。
そして、その後、一人暮らしを始めて、自立するようにしました。カウンセリングには今でも通っていて、お薬も飲んでいます。
 
裏切られたことがとてもショックで、人間不信になっているのです。信じていた人に裏切られることがこれほど後々まで影響するとは思ってもいなかったので、とてもつらいです。

 

モラハラ夫と離婚(女性)

私は1年前に離婚をしました。スピード婚でしたし、スピード離婚でした。出会って半年で結婚し、半年後には離婚に至ってしまったのです。
 
「君を一生守りたい。」という言葉を信じましたし、この人だという直感もありました。
しかしいざ結婚して生活を始めて見ると、まるで別人のように性格が変わりました。
 
いわゆる「モラハラ」があまりにも過ぎたのです。
 
何かにつけ怒り出します。「お前のためにしてやったのに、なんでお前はそうなんだ」こういった内容で2日に一度は怒り出し、暴言が続きました。ひどい時は「出て行け」と家を出されたこともあります。
 
我慢していたものの、辛くなり離婚を決意しました。実家に帰り両親に理由を話すと両親も離婚に賛成してくれました。彼は離婚に最初は納得してくれませんでしたが、両親からの怒りもあったので最後は渋々離婚に至りました。
 
もちろん楽しい時間もありましたが、やはり辛い時も多かった結婚生活でした。幸い子供はいません。慰謝料も貰いたいくらいでしたが、やはり結婚生活が短いので難しいとの事で諦めました。
 
しかし、その後は新しい仕事を始めて幸せです。
新しい彼氏も出来たので、離婚をして心底良かったと思っています。
 

こんな男に気をつけて、、、(女性)

私は、当時付き合って1年半の彼氏がいました。まだまだ、お互い結婚を意識しておらず、段々にそういう風になったらいいなぁと思ってました。
 
そんなある日、妊娠が発覚しました。彼に伝えると、黙ったまま返事は無くその日はそのまま帰宅。
 
数日 連絡が取れずに、つわりと不安で身も心もボロボロでした。
 
やっと、連絡が取れプロポーズをされるも彼の過去について知ることとなります。
 
彼は、バツイチでギャンブルで作った借金があるということ、、、。頭を殴られた様なショックがありました。バツイチなら未だしも、借金があるとは。付き合っていた当初は、よく奢ってくれたり誕生日には高価なプレゼントを貰ったり、旅行に連れて行ってくれたりしていたため、そんな素振りは無く全く気が付きませんでした。
 
しかし、お腹にいる子どものこと、それでも彼が好きなため両親には秘密にし入籍をしました。
 
結婚をしてから、彼もギャンブルせず借金を一緒に返して行けると思ってました。
 
子どもが産まれてから、帰りが遅くなり理由を聞くと怒鳴られました。職場の人からの密告で、彼は仕事後にスロットに行っていたそうなんです。そのことを、帰ってきた彼に問いただすと逆ギレをし「俺が働いた金で何をしようと勝手だろ。ずっと我慢してきたけど子どもが産まれてから子どもにかかりっきり」と。
 
口論が続き、口論では勝てないと思ったのでしょうか、子どもを抱いた私に椅子を投げつけて来たのです。その時に、身の危険と彼への愛情が一瞬にして冷めました。
 
翌朝、子どもを連れ実家に帰りました。両親に全てを打ち明け、離婚をしたいことを伝えました。
 
両親は、結婚前より彼に対してよく思って無く何かあると感じていたようです。ただ、でき婚であり反対すると駆け落ちをするリスクがあるため、反対をしなかったと話してくれました。
 
当初、彼は離婚を拒んでいましたが弁護士を通して行い、借金とDVの危険性があるため離婚をすることが出来ました。
 
ただ、養育費を貰わない代わりに子どもには一切合わせないことを条件にしました。
 
そんな私も両親の助けがあり、シンママとして頑張ってます。
 
子どもも物心がついてきたので、そろそろ新しいパパが欲しいなぁなんて話してます。
 
次は地味でもギャンブルをせず、堅実な人と恋愛がしたいです。
 

性と性格の不一致で離婚(男性)

私は、42歳の男性で2年前に離婚体験をしました。私の場合、いわゆる、スピード交際、スピード結婚、スピード離婚でした。元妻は、7歳上のバツ2の女性でした。過去ふたりの主人は、ひとり目がギャンブル依存症、ふたり目がDVで散々だったということでした。しかし、今思えば「喧嘩両成敗」で、相手の男性の気持ちもなんとなく解らなくもないです。

 

まず、交際についてですが、出会いは独身男女が気軽に集えるようなサロンでした。それから2週間ほど経って、彼女からのアプローチにより交際をスタートさせました。
 

そもそも、元妻は実家と上手くいっておらず、家にいるのが苦痛で、私と交際を始めてから結婚まで4ヶ月間もほとんど、ホテルで同棲生活をしていました。元妻は、早く結婚して欲しいようなことを言っていましたし、私としても「この生活は、非建設だ」と感じていました。しかし、今思えば、実家の元義父(義母は亡くなっていました)はいい人で、むしろ元妻のほうがワガママだったように思いますが、実際には、私たちはスピード結婚をしました。
 

しかし、結婚生活は1年余りで終わりました。原因はいわゆる「性と性格の不一致」でした。具体的には、歳が7歳上でしかもどんどん太っていったので、女性としての魅力は日ごとに減っていきました。しかし、元妻の性欲は旺盛で、夜の生活を営まないと不機嫌になりました。なので、私はだんだん夜が来るのが恐ろしくさえなりました。
 

また、性格のほうはプライドが高く(自分が絶対正しいというタイプ)、かつ忍耐弱いという女性でした。私が仕事から疲れて帰ると、元妻の弱音と愚痴を2時間ほど聞かされ、次に私が仕事のことを言おうとすると、露骨に嫌な顔をされました。しばらくして、私は諦めました。また、かなりきつかったのは私が眠い目をこすりながら出勤するときに「具合が悪い」と言って寝ていることでした。
 

でも、本当の理由は、私の「来るものは拒まず、去る者は追わず」という消極的な性格にあるのかもしれません。

 

とにかく、結婚半年くらいから、私は元妻のわがままな性格に閉口していたのですが、知人に相談すると「民法は女性の味方だから、余程のことがないと裁判で負けるよ。我慢しなさい」と言われました。
 

そんなある夜、私たちは大喧嘩をしまし、元妻は出て行きました。次の日電話で「ふたつ伝えたいことがあります。私、家を見つけました。あと、書類(離婚届)にハンコを押してください」と伝えられ、私は心の中でガッツポーズをしました。

 

しかし、その後、私は寂しさもあってか、風俗にハマってしまい、数カ月で貯金を使い果たしてしまい、今、ひとりでも経済的に苦しい生活をしています。

 

夫を尊敬できずに離婚(女性)

何故離婚したか、元夫に対して人間として尊敬出来る部分が持てなかった、尊敬とまではいかなくともいい所が見いだせなかったからと思います。
 
お見合いで結婚しましたが、私が生まれた場所より田舎が嫁ぎ先でした。
 
結婚し相手の両親と同居、嫁ぎ先は事業をしており私は当然の如くそこの仕事をする事になりました。
 
結婚してから判った事ですが父親の権力が強大でまるで殿様、息子(元夫)は怖くて何も逆らえない状態。母親は息子に甘く何も言えず。
 
次第に分かったのですが元夫は仕事中喫茶店でゲームをし仕事場には形だけ出向くような事をしていたのを他人から聞きました。仕事場は自宅の一角にあり常に舅姑と一緒、私は子育てと仕事、従業員の世話で昼間家から出られるのは金融機関行く時と夕方前のひと時の買い物に行くだけ。その間元夫は仕事と称して家にはおらず昼食を摂るとまた出て行く状態でした。
 
その上嫁ぎ先の親戚が近く年中訪問がある、また早朝から(朝6時頃)から近所の茶飲み客が押し掛ける、たまの日曜は舅の趣味の仲間の反省会の準備、ある時夕方5時過ぎに私が帰宅した時姑から「今まで何していたんだ」と言われたり、スカートを履いていると結婚したのにズボンを履けと言われる等。
 
この間何も無かったわけも無く家を出ようとしてパジャマ姿のまま泣きながら家を飛び出した事ありました。
 
田舎ですから車が泣ければ生活できず、結婚して自分の車が無いため私は実家の親に頼み送金しへそくりを貯め安い軽自動車を買える額が貯まり、車を購入する前一応義理の親、元夫にその事を伝えました。
 
いざ車が納車されると私が運転する前に私から元夫は鍵を私からもぎ取り「贅沢だ!(お前には)」と何処かへ車に乗って出て行く始末、あっけにとられ私も何も言えませんでした。
 
そんな事を10年間過ごし、遂に別居を伝え義理の親は別棟を改造し移り住みました。しかしそこは私達の住む母屋の目の前。別居後経営を息子に譲りましたが舅姑は給与だけは会社から出すよう要求し出していました。
 

そんな息子が経営者としてやっていけるはずもなく、その上元夫は束縛男で私の自由は許さないという男でした。義理の親もですが元夫も私を使用人として籠の鳥にしたかっただけなのかもしれません。
 

結婚20年にして夫の留守中荷物を運び出し子供3人と家を出ました。離婚調停6か月後に正式離婚が成立し、相手方からのお金の受理はありません。
 
その後、私は稼ぐため夜勤専属など仕事を転々としましたが3人とも学校を卒業し、1人は結婚もし今は孫もいます。
 
私と子は蜜に逢うという事もありませんが、私は親子といえども人生は別々です、それぞれに考え生きて行けばそれでいいと思っています。再婚を考えた方もいましたが結局今も一人です。私は元夫と離婚して良かったと今も思ってます。
 
今は落ち着いた仕事もあり幸せに笑顔で生きています、これからも自分の人生を生き切りたいと思います。
 

我慢して過ごすよりも母子2人の生活が幸せです(女性)

結婚5年目で待望の妊娠、男の子を出産しました。妊娠中から精神的にも肉体的にも様々なマイナートラブルが発生し、仕事をするのはもちろん、家事と仕事の両立が大変でした。
 

元旦那は、女性も働くべきという気持ちが強い人で、私の体調を心配することはなく、仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。
 
夫婦二人とも仕事をしているのですが、元旦那は一切の家事もせず、ゴミ出しすらやったことがありません。私自身の両親も同じように、父親も家のことを何もしていなかったので、あまり深く考えず過ごしてきました。
 

家を購入したこともあり、私自身も生活レベルを落としたくないという気持ちがあったので、なんとか妊娠中も仕事を続けて、出産後産休に入りました。
 
保育園がなかなか決まらず、育休を伸ばして1年半でようやく保育園が決まり、仕事復帰をしました。保育園は自宅最寄の駅と隣の駅の間にあるため、朝は今までより30分以上早く出ること、帰宅してから子どもの世話と夕食の準備ということに体力が持たず、くたくたになりました。
 
私も悪いのですが、料理が少しずつ手抜きになってしまい、元旦那は作ったご飯に文句を言って、食べなくなることが増えました。家のことを何もしないのに文句ばかり言う元旦那に不満が募り、大きな喧嘩をたくさんしました。
 
その後、元旦那は家に帰って来なくなり、それから半年後にお互いに納得して離婚に至りました。子どもの親権は私が撮り、毎月の養育費はもらっています。しかし、それは同時にもらった家のローンに消えてしまうので、生活費としては残りません。
 
元旦那は子どものことは愛しているので、会いたい時には会わせるようにしています。
 
再婚などは全く考えていませんが、いずれ良い人に出会えたらと考えています。母子二人の生活は経済的に厳しいところがありますが、それよりもストレスフリーで日々を過ごせて幸せです。
 
思い切って離婚してよかったです。
 

養育費が一円も支払われないままに二人を育て上げました(女性)

離婚の原因は元夫の転職の繰り返しによる経済的理由からですが、その背景には元夫の勤め先の社長が40代で急逝してしまったことにありました。
 
その時、私は仕事を辞めて第1子の出産直前でした。
 
社長をとても慕っていた元夫は完全に腑抜け状態になってしまい、他の会社が声をかけてくれて再就職はするのですが雇い主とケンカをして辞めてしまう、しばらくブランクがあり、また別のところへ就職してはケンカして辞めての繰り返しで、ブランクの間は当然収入はありませんから私の貯金を500万ぐらい全部食いつぶしました。
 
それでも足りずに私の親から借金もしましたが、きりがないので結局離婚を選びました。これ以上一緒にいてももっと迷惑をかけられるだけで、得るものは何もないと思ったからです。
 
ちなみにそんな状態にあって、なぜか子どもはどさくさに紛れてもう1人増えていて、結局、上の子が2歳、下の子は生まれたばかりという状態での離婚となりました。
 
別れるときに慰謝料はお互いにナシ、親権は2人とも私、養育費は2人で6万円を18歳になるまで私が受け取ると取り決め、私の親に借りたお金の借用書も書いてもらいましたが、私も親もいまだに一円も受け取っていないし、元夫が生きているか死んでいるのかも不明です。
 
今は恨みもなく、可愛い子どもを2人も与えてくれて、育てさせてくれたことに感謝しています。どこかで知ることがあったら、あなたの子どもは今は20歳と18歳になり、2人とも、とてもいい子に育っているよ、ありがとうと言ってあげたいです。
 

食生活の違いが離婚の原因に(男性)

私と妻との生活は1年もちませんでした。原因は全て私の食習慣にあります。
 
高校の頃から健康食に異常にこだわり始め、気が付くと普通の日本人とは大きく違う食事になっていたのです。米を始め穀物はほぼ食べない、野菜は生でかじる、食べる順番も血糖値を気にして野菜汁物肉の順をきちっと守る、朝食は抜きでビタミン剤とはちみつです。
 
結婚前に、妻には自分は食生活を変える気はないということは伝えてありました。妻はサポートするから心配しないで、ということで結婚に踏み切ったのです。
 
しかし最初は私の好みのものをキチンと料理してくれていた妻も、食費がやたらかかる時間がかかると不満を言い始めるようになりました。
 
決定的だったのは夕食に白米がポンと出たことです。普通の家庭だったらあたりまえのことですが、私が最も避けている食材です。以後私は、自分の部屋で一人でご飯を食べるようになりました。
 
この亀裂はどんどん大きくなり、やがて会話の回数も減り、とても新婚生活とは言えないような状況が続きました。
 
離婚を切り出してきたのは妻のほうからです。口論にはならず、「あんたにはとてもついていけない」ということで私も離婚を了承しました。
 
こんなことのために離婚なんてもったいない、と周りから散々いわれましたが、子供のいないうちに別れてよかったと思っています。
 
現在も婚活より食生活に興味と狂熱を傾けています。
 

家計のバラバラ管理で離婚(男性)

最近は本当に離婚する人が多いと思っていましたが、まさか自分まで離婚する事になると思ってませんでした。
 
では、実際にどういう経緯で私が離婚する事になったのかというと、それは別に私が不貞行為をしたとかそういうのではなく、単に私自身に甲斐性がなかったというのが離婚に至った理由です。
 
確かに私は結婚してからもお互いが働いている以上それぞれの生活費はそれぞれで稼ぐように言ったのでそれが気に入られなかったのかもしれないです。
 
でも、専業主婦でもなく私と同じくらいの稼ぎがあったと思われる以上、家庭にお金を入れるという発想は不要だと思っていました。

 

でも、実際はそれではいけないと後になって友人から言われて気づきました。ですから、私が離婚に至った最大の理由は結婚後もお互いの生活は自分で稼いだお金で生活していくように言ったのがまずかったのだと思いました。

 

それも子供をまだ作っていなかったので個人的には不幸中の幸いだと思っています。
 

もし、子供がいて離婚の話になっていたらと思うとかなりもめたと思います。なぜなら、子供がいれば確実に親権はどちらが持つかという話になるからです。

 

それで裁判になる事も十分にあり得たと思います。ですが、子供がいない時点で離婚の話になったおかげで裁判沙汰にならずに済んで良かったです。
 

そして、この体験を通じて私は結婚向きの性格でないと悟ったので結婚はもうしなくても良いと思って自由に生きています。
 

共に働いていた嫁が一瞬で他人になったこと(男性)

私は小さなペンションを経営していて、そこで知り合った嫁と4年前に結婚しました。 
 
ほぼ趣味のようなペンション経営でしたので、閉散期は私がアルバイトに行かねばならず、その間のペンションは嫁にすべて任せていました。結婚してすぐに子供ができたので、アルバイトはほどほどにして一緒に子育てをしました。私たちはペンションの仕事を愛していましたので、ほぼ年中無休で働きました。間違いなく幸せだったと思います。
 

子供が大きくなってくると、私は家族のためにアルバイトを増やしました。どんなにきつくても守るものがあるというのはすごいもので、馬車馬のように働きました。 
 
やがて嫁もペンションの仕事をすべて吸収しきり、ペンション経営にかけては私よりもできるようになっていました。私は通年で高収入のアルバイトを始め、ペンションが忙しいときは嫁の手伝いをすることで我が家の収入が安定しました。
 
そして第二子が生まれてすぐに、嫁の浮気が発覚しました。たまたま嫁のスマホを見てしまったことで分かったのです、相手はペンションの客でした。怒りで目の前が真っ暗になったのですが、なんとか棚につかまり立っていました。
 
その夜、私は嫁と二人きりになり怒り狂いました。あっさりと嫁は浮気を認め「忙しかったから寂しかった」とわけの分からない事を言いだし、もうしないだの、許してだの泣き出しました。普通は許すのでしょうか?私に許すという選択肢はありません。
 
完全に冷め切ってしまい嫁だった女性に退去通告をし、嫁だった女性が産んだ子供と一緒に出て行ってもらいました。そして私はアルバイトをやめ、前のとおり大好きなペンション経営をまったりとやっています。