ゴッホ作『髭なしの自画像』について知っておきたい9つのこと


ゴッホの自画像の絵と言えば、髭をたくわえている作品が有名でしょう。たくさんの自画像を描いて残したゴッホですが、その中で、髭のない、珍しい自画像があります。それが『髭なしの自画像』と呼ばれる作品です。今回はこちらを取り上げます。なぜ、髭なしの絵だったのでしょうか?謎がいくつもありそうですね。深く探っていきたいと思います。是非お付き合いください。

 

1, サン・レミの聖ポール療養院で療養中に描いた

 

この作品は、1889年9月、サン・レミの「聖ポール療養院」という、言わば、キリスト教系の精神療養所で、ゴッホが療養中に描いたものです。過去にご紹介した『星月夜』(ほしづきよ)と同時期の作品となります。

 

『星月夜』の数ヶ月後に描いた訳ですが、『星月夜』の特徴だった暗さや混沌さがなくなり、明るい絵となっています。ちなみに、この療養院でゴッホが描いた自画像は2枚だけです。この『髭なしの自画像』は、そのうちの1枚という訳です。

 

また、もう一つの自画像は、同じ1889年9月の制作とされていますが、外見は全く違い、前述の『星月夜』と同じく、暗さや混沌さが目立つ絵となっています。

 

ちなみに、絵の大きさは、40✕31センチの小さいものとなっています。

 

2, 母へのプレゼントだった

 

この自画像は、母アンナへの誕生日プレゼントとして描かれたそうです。母を喜ばすためでしょうか。敢えて明るい色彩で描いたように見えます。また、絵の自画像のこちらを見返す目線が下向きで、柔らかな印象を与える精神不調の状態が快方に向かっていることをアピールしたかったのでしょうか?

 

しかし、同時期に描かれたもう一つの自画像は、暗さや混沌さが目立つため、この髭なしの方の顔の明るい表情は、母を喜ばすための嘘なのでしょうか?あるいは、突如、悟りきり、明るい表情となったのでしょうか?

 

3, ゴッホにとっての最期の自画像

ゴッホは、この自画像を描いた10ヶ月後に自殺するのですが、この作品の制作以降もたくさんの絵を描いていますが、その中に自画像は1枚もありません。

 

4, 今は個人の所有物です。

この作品は、1998年に7150万ドル(約70億円)で個人に売却されました。現在の価値だともう少し値上がりしているそうです。ゴッホの作品の中で最と高値で売れた作品の内の一つです。

 

他のゴッホの作品では、『医師ガシェの肖像』が、約100億円以上のかなりの高値で売却されたそうです。

 

5, 『坊主としての自画像』と印象が重なる?

この『髭なしの自画像』は、他の自画像とは、印象がかなり違います。別人かと思えるほどです。髭なしで、目はパッチリしています。そのため、さっぱりとした印象と明るい印象を伴います。これは『坊主としての自画像』と似ている印象を持てないでしょうか?つまり「日本の僧侶」を意識して描いたのではないでしょうか?

 

ゴッホは、それまでに日本の浮世絵や僧侶に高い関心と憧れを持ち、それらを意識した絵を何枚も描いていました。しかし、それなら、頭をなぜ坊主にしなかったのか?という疑問も出てきそうです。

 

それは、次の項で、一つの答えが出てきそうです。

 

6, キリスト教への回帰?

この作品を描いて8ヶ月後、1890年5月、ゴッホは、レンブラント作の『ラザロの復活』という絵の模写を描いています。『ラザロの復活』とは、新約聖書の『ヨハネの福音書』第11章を絵に描いたものです。イエス・キリストの友人のラザロが墓の中から蘇る場面を描いています。

 

これは、キリスト教の宗教画ですから、キリスト教に対する関心が戻ったということでしょうか。ということは、それまで憧れていた、仏教国の日本への憧れがなくなったということでしょうか?

 

それは、もしかしたら、ありえることかもしれません。といいますのは、当時の社会情勢が関係していると言えるでしょう。

 

当時の日本は、明治維新を迎え、以降、西洋化が激しく、「明治憲法」を成立させ、富国強兵を目指していました。それまでの日本らしさが失われていく初期の段階でした。その情報をゴッホはもしかしたら知っていたかもしれません。それで日本に対して失望した可能性は大いにあるでしょう。

 

7, 最期の自画像と言われていますが、ゴッホ自身は最期と思っていなかった?

ゴッホが自殺する約40日前、1890年6月半ば頃に書かれたとされる、友人のゴーギャン宛の手紙が残っています。しかし、これは遂に出されることのなかった手紙なのですが、この中には、再び肖像画を描きたいという希望と、ゴーギャンや仲間たちに再会したいという期待も書かれているというのです。

 

真の気持ちを書いているというのであれば、という条件付きになりますが、ゴッホは、この時点で生きる希望を持っていたということになります。

 

それでは、なぜ手紙を書いた約40日後に自殺したのでしょうか?

 

もしかしたら、自殺ではなく、他殺だったかもしれないという説も出てきています。あるいは、前項に取り上げた『ラザロの復活』の模写を描いたことにより、一度死んだ人間が蘇る場面ですから、自身も「ラザロ」と同様に蘇る気持ちで自らにピストルを向けたとも考えられそうです。

 

しかしながら、ゴッホの死については未だに謎に包まれています。

 

8, 『髭なしの自画像』を含め、それまでの自画像は実験だった?

『髭なし自画像』を描いた後にゴッホの描いた絵は、自殺するまでの間のほとんどが風景画です。特殊なのは、先程から取り上げています『ラザロの復活』の模写くらいでしょうか。

 

前項のゴーギャンへの手紙にもありましたが、再度、自画像を描きたいという意志があり、しかも、同じく、その手紙の中で、自画像の背景として、そのとき幾枚も描き続けていた風景画を使いたいと書いているというのです。

 

つまり、それまで描いていた自画像や風景画は、実験や練習の類いのもので、「風景画」を背景にした真の「自画像」は、ゴッホの頭の中で温められていたのかもしれません。

 

しかし、それは遂に実現せずに、ゴッホは生涯を閉じます。また、ゴッホの死ぬ1ヶ月前に、妹のヴィレミーナに手紙を出していますが、その中に「100年後の人々の前に亡霊のように現れる肖像画を描きたい」という意志の文が見られます。これについては、ゴッホが描き残した多くの自画像の絵が、100年後の現在、実際に「亡霊」のように世界中を飛び回り、人々を魅了しているのは確かでしょう。

 

9, 個人の存在価値を保つための自画像

ヨーロッパで自画像に対する関心が強まり、広く鑑賞や蒐集されるようになったのは、14世紀頃から始まった「ルネサンス期」以降のようです。

 

そして、16世紀キリスト教の宗教改革によって、多くの信者自身が直接、聖書や教会を通して神と近づける機会が増えると意識されたことしょう。個人に重きを置かれることになった時期でもあるでしょうから、自画像への関心も高まったのではないでしょうか。

 

しかし、19世紀の「産業革命」によって、個人が機械の一部かのように扱われるようになっていきました。さらに、「帝国主義」の時代にも突入していくのです。つまり、個人は国家や帝国の一部にすぎない部品のように生きる時代になっていくのです。

 

それ故、個人を強く意識しないと、自身の存在価値を保てなかったのです。ゴッホはそんな時代に突入していた真っ只中に生きていました。ゴッホの描いた自画像は、自身の価値を保つための表現手段になっていたと考察する見方もあります。

自画像が精神診療的に利用されたようなものでしょうか。特に、この『髭なしの自画像』は、明るい表情に見える顔が描かれているため、ゴッホの存在価値を高める大切な絵と言え

そうです。

 

また、その後、自画像の価値が増し、これを「自画像時代」とも呼ぶそうですが、ゴッホはその先駆けとなったと言えそうです。